小中一貫校「志明館」 志でつくる学校プロジェクト
発起人対談
其之壱

日本一の小中一貫校を創りたい!「志明館」設立事業に集う有志たち

従来の制度化された教育の限界を打ち破る、徹底された志明館教育の内容とは。
当プロジェクトの幹事会代表3名にその真価を聞きます。

左から、山口秀範さん、橋田紘一さん、八尋太郎さん

現代における社会的課題の解決につながる、今までにない全く新しい学校を設立したいという有志の思いのもと、この「志明館」プロジェクトはスタートを切りました。
発起人対談の1回目は、この事業が始まった背景や、立ち上げに関わる人々の思いについて幹事会代表の皆さんにお聞きします。

ーー幹事会代表の皆さま、それぞれのご紹介(他己紹介)をお願いします。

人間教育で日本を立て直す、「寺子屋モデル」代表、山口秀範さんとは

彼は修猷館高校の6年後輩で、もう長い付き合いだな。かつてはゼネコンの海外勤務で各国を飛びまわっていたけど、日本に帰ってきてからは江戸時代からの私塾のスタイルを模した「寺子屋モデル」をビジネスとして主宰するようになった。これは、人格形成に深くかかわる幼少期からの教育を重視するもので、子供のみならず親の教育も徹底するものやね。さまざまな歴史上の人物を寺子屋方式で教える彼の活動を見て「いいことやなぁ」と感心していました。ぼくも支援者の一人として、いろいろなかたちで応援してきました。
彼の性格を端的に言うと、熱血漢で、とくに教育に関しては深く入り込んでいく、「ちょっと、おかしいのではないか?」というぐらい(笑)その姿に感動するし、同じ価値観をもっているように思う。情熱をもって、この日本国をどうにかしなければいかん、子供の頃からしっかりした日本人を作っていかなければいかん…… ということを一生懸命やっている人です。

エンジニアから教育者に転身、博多学園理事長、八尋太郎さんとは

八尋さんは現在は博多学園の理事長ですが、もとは鉄鋼会社のエンジニアで工場長だったと聞いています。大手企業で活躍していたのに、先代の理事長であったお父さまの跡を継ぐかたちで、前職を辞して職種の全く違う教育界にやってきました。彼の性格をひとことで言うならば、非常に思い切りがいい。日本一の小中学校を作ろうという計画は、もともと私が一人で考えていたことですが、意気投合して、準備会を重ねて行くうちに「本当に作りましょう!」と言ったのは、八尋さんだった。実際に学校を作るには、資金を集めなければならないし、当然ながら集まらなかったときのリスクがありますが、彼はそのリスクを承知で決断をしている。それには本当に感心します。

九州実業界の生きる伝説、橋田紘一さんとは

橋田さんは九電常務、九電工の社長、会長などを務めた他、さまざまな重責を担われた九州の実業界を代表する有名な方ですが、ずっと噂でしか聞いていませんでした。橋田さんの部下の方と会うことはありましたが、ご本人とはなかなか。もともと、企業経営者で教育がご専門ではないはずなのですが、「小中学生の教育はこうあるべき」という話をするともう止まらない。毎週、朝の7時半から9時まで会議をやっていますが、30分ぐらいずっと橋田さんの話になるときもあります。30分経っても、「もうそろそろ…」と言わないと止まらないぐらい熱い(笑)
人財教育や学校教育について、非常に熱心な考えをお持ちなので、その点、この事業をご相談する相手として本当に最適だったと思います。こういう活動をしていくなかでいろいろな人に出会いますが、やはりベストな方。橋田さんと会えば会うほど、お話をすればするほどそのような思いは強くなりますね。

橋田さんという方は、教育に関してのみならず、誰かが何か提案したことに対して、ほとんど断らないんですよね。いろいろな会合に付き合うとか、ご多忙ななか誰かのために時間をあけるとか。それを本当に数十年間、怠らずやり続けている。経済界の重鎮の方々は皆マメだし、付き合いもいいが、橋田さんほど徹底してやる人はまずいない。これだけたくさんの人脈をもち、かつ表面的ではなくそれぞれの人としっかり付き合っているというのは、本当に珍しい方なんですよ。日本国内はもちろん、場合によっては海外まで。「この件ならこの人が居るよ」とか、「あの人に相談しようよ」という人選が必ず出てくる。それがすごい。一朝一夕ではできないことですよね。

県会議員から和菓子屋の社長まで・・・
日本一小中学校設立に奔走するユニークな面々

ーー世の中にまだ存在しない新たな学校を立ち上げる構想を練り上げるまで、いろいろと道筋が長かったと思いますが、当初、どんなかたちで志明館のコンセプトに行き着いたのでしょうか。

日本一の小中学校を作りたいという願いは、当初、私の個人的な思いからはじまりました。私は20年前にゼネコンを退社し、人財教育に専念するようになりました。この20年間「寺子屋モデル」で考えられることは一通りやってきましたが、将来に向けて日本の教育を本格的に立て直そうとするならば、やはり一番大事なのは初等教育(小学校から中学校)ではないかという思いが次第に強くなっていきました。”少年時代”こそ人間の素地を作るにあたって最も重要な時期であり、教育の醍醐味なのです。
しかし、そう考えつつも、しばらくの間は大きなきっかけを持てずにいました。

ーー事業が始まった当初はどんな活動をされていましたか?

プロジェクトが動き出したきっかけは、ちょうど10年ぐらい前、私が主宰している「寺子屋モデル」の事務所に八尋さんが訪ねてきたことでした。「全く同じような考えの奴が福岡におるぜ」と聞いて、訪ねてきたのでしょうね(笑)出会って早々、「学校の常識と、世の中の常識がえらい違うね…… 」という話になり、すぐに問題意識を共有しました。奇しくも八尋さんが経営している博多学園は、幼稚園と高校はあるが、その間がないため、教育が一貫してつながっていかないという不足感があったのでしょう。八尋さんとの意気投合こそ、このプロジェクトが走り出す最初のきっかけでした。その次の年には、「日本一小中学校の立ち上げ委員会」が発足し、本当に急展開します。

有志4~5人が集まり、とにかくいずれ、日本一の小中学校を作ろうということになり、2ヶ月に1ぺんぐらいの頻度で集まることになったのです。どこから始めたらいいか、どんな問題点があるか、そもそも敷地を貸してくれる人がいるのかとか。最初の議論は本当に手探りでした。
徐々に他校の視察も開始し、公立の小中一貫校ができたという噂を聞いて何人かで見学にいったら、そこそこやっているけれども、なんだか中途半端だなと感じました。せっかくならばもっとしっかりやればいいのにと。教科書も既存のものを使用していたり、狙いはいいけれども、公立の限界を感じる視察でした。やはり、我々が私立の小中一貫校を本気で作らなくては…… という決意を新たにしました。

最大の関門と思われた、橋田さんが即快諾、一同拍子抜け!

ーーその後、プロジェクトは順調に進展したのでしょうか?

ところが、この小中プロジェクトはその後、いったん中断してしまうんですよ。リーマンショックの直後で、とても出資してくれる人が見つかりそうもないという状況に陥ったんですね。福岡市内で相応の広い土地が見つからないという壁もありました。苦境のなか、実現は難しいかな…… とやや諦めムードになっていました。そんなときに、2度目の転機が訪れたのです。

まとまった資金を集めるためには、福岡の経済界で親身になって事業を推進してくれる方を、探す必要がありました。そのときに、まだ素案段階の構想をもって相談しにお伺いしたのが橋田さんだったんです。
午後一番に時間をとっていただき、5人のメンバーで挨拶に伺い、すぐに”うん”とは了解されないだろう、「もう一度、出直して来い!」と言われるかなぁと思ったのですが、即答でご快諾いただきました。あれは劇的でしたね(笑)

実はその日の早朝に、自宅のすぐ近くの鳥飼八幡宮にお参りに行って、そのお宮の社頭で、亡くなった親父と会話したんです。6月に、会長職を辞めることにしたが、これから残った人生どうしようかと問うたら、「そりゃお前、人を育てる、それしかないだろ……」という声が聞こえてきた気がした。その直後に会社に行ったら、この人たちが居たのだから、それはもう受けないわけにはいかないでしょう(笑)
その時のメンバーはユニークで、九大原子力の名誉教授、県会議員、老舗和菓子屋の社長など。多くは小柳陽太郎先生の門下生で「日本の将来は子供たちの教育にかかっている」と訴えに来た。
うちの親父も、福岡学芸大学(現福岡教育大学)の教授をしていて、もともと教育者の家系で育ったのもあり、実は教育に非常に縁がありました。その後も、九州アジア経営塾の立ち上げから関わり幹事長になったり、高校生を対象とした次世代リーダー養成塾を行ったり、九電工の社長になった以後も「人は宝」という考えのもと、一貫して人財育成に力を入れていた。そういうことが全部この事業につながってきた。人を育てることを天命にしてきた自分にとって、この事業を引き受けるべきだと判断した。

資料も何もほとんど出来ていない状態だったのに。二つ返事で「よし、やろう」と。逆に拍子抜けしましたよ(笑)

橋田さんが味方についてくださったことは、このプロジェクトにとって非常に大きなことだったと思います。橋田さんが加わり、発起人会のメンバー数十名分の署名が一気に集まり、さまざまなことが急展開で進んでいったのです。

ーー本当に何か大きな力が働いていますね。難問であった“場所”の問題はその後、どうなったのでしょうか?

橋田さんが加わって程なくして、非常に頭を悩ませていた建設地の問題も意外なところで解決することになりました。このプロジェクトが始まった当初は、福岡市内に校舎を設置するイメージでしたが、発想を変えたら、少し郊外でもっと広い土地があるんじゃないかと考えるようになったのです。そんなことで、古賀市に行って福津市に行ってというように、各地を訪問していたのですが、宗像市に行った際にちょうど谷井市長が、ホークスの二軍用候補地を再活用して、宗像市を“教育都市”として定める方向に決めつつある最中でした。市長が教育都市計画の青写真を部下に指示したのとちょうど同じタイミングだったんです(!)こんなこと、信じられるでしょうか?(笑)
そんなこんなで、私たちの提案も絶妙なタイミングで受け入れられることになり、宗像市に5ヘクタールの土地を提供してもらえることになったのです。

■志明館小中学校の建設予定地(宗像市)の航空写真。近隣は緑に囲まれた自然豊かな地域。

最初は右翼かと警戒??も。その後ぞくぞく集まる支援者の輪

ーー学校創設のためには少なくとも30億円必要とのことですが、橋田さんを中心に行っている資金集めの状況はいかがでしょうか?

山口さんを中心に組み立てた大綱は出来ていましたが、名前はまだ志明館ではなかったし、企画も具体化されていなかった。それでも、「日本一の小中一貫校を作りたい」という主旨が書かれた紙切れをもって、財界の色々なところを出来るかぎりまわったんです。寄付をいただく人を探す前に、まずは、賛同者を増やそうと思い、共同発起人に名前が挙がっている人たちを手分けしてまわる事に。最初は胡散臭いと思われたり、右翼じゃないかと怯えられたり(笑)古式どおり、15歳にして元服(大人になる儀式)を行うと前面に書いてあったので、余りに強烈だったのかもしれない。部分的に反対意見をはっきり言う人もいたが、それでも構わないので、こういう学校を作ることについて、そもそも賛同するならばすぐに署名してくれと交渉し、ほとんどの人はOKになった。なかには利害がぶつかる人もいたが、それでも調整してくれた。ずらっと80数名集めるのはすぐでした。細かい意見の違いはあれど、ほとんどの人が賛同してくれたという事は、みんながこういう学校が必要だと内心で思っていたんやろうね。

先般、「寺子屋モデル」の会報に、いよいよ学校設立に向けて募金活動を始めます…… と告知したら、支援者が殺到しました。まだかたちは何も無いのに、「山口が十何年も言い続けて来たのだから何かやるだろう」「これが日本の教育を大きく変えるかもしれない」 と、期待して頂けるとは嬉しいですね。

いまから本格的に動かないといけないですけど。これから、この波が全国に広まり、支援者が増えていくでしょう。本当にありがたいことです。このホームページをご覧になった方々が、私たちの活動について周りに広めてくださったなら、この上なく嬉しいことです。

次回は発起人対談の2回目。
江戸時代の寺子屋や藩校を模範にする志明館の教育モデルについてお聞きします!

第二回発起人対談
モデルは江戸の学び舎!? 志明館の教育方針とは ▶

発起人対談

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