小中一貫校「志明館」 志でつくる学校プロジェクト
発起人対談
其之参

個性の前に型を身につけさせる!志明館の教育カリキュラムとは

従来の制度化された教育の限界を打ち破る、徹底された志明館教育の内容とは。
当プロジェクトの幹事会代表3名にその真価を聞きます。

志明館では、道徳性を育んだり、正しい歴史観を身につけるための新教科をはじめ、他の教育機関では実現できないユニークな授業を実施する予定です。対談の3回目は、カリキュラムの一部と教育方針、指導陣に期待する点についてなど、幹事会代表の皆さんにお聞きします。

ーー志明館では、通常の学校にはない、ユニークな教科があるとのことですが、それはどのような内容なのか、詳しくお話いただけますか?

国語や数学、英語など、通常の公立の小中学校が教えている教科は勿論網羅されているのですが、実際には2割から3割ほど授業時間数も多く、より充実したものになります。 加えて、「知・体・徳」のなかで、“知”(学習)だけでなく、“体”と“徳”にも注力していく点が特色です。 たとえば、“体”の学習としては、和の教育ということで武道を低学年の段階から取り入れていく。 “徳”の学習としては、偉人伝や古典を教える新教科「国学」を取り入れています。 それ以外にも、「総合日本史」、「現代世界」といった新教科が加えられていること、グローバル性を身につけるために英語教育を徹底する点も特色といえます。 9年間のうちに、読む書く聞く話すという能力を一定のレベルまで高めることを目指しています。

〈新教科その1〉日本人としての“自覚”を学ぶ「国学」

ーーそれでは、他の教育機関にはない新教科について具体的にいくつかお伺いしたいのですが、まずは「国学」で教える内容についてお話ください。

将来、国際人として活躍するためにも、まず日本人としての“自覚”を身につけてもらいたい。独自科目「国学」の内容としては、古典の素読・暗誦や、偉人伝を自分たちで調べて語らせたりします。また、古事記・万葉集の時代から伝わる日本語(大和言葉)を正しく理解して、きれいな日本語が使えるようにします。
堂々と国際社会へ出ていくためには、日本人である“誇り”とか、日本人で良かったという“喜び”が核になくてはならない。それがあるからこそ、世界の人々と仲良くしたり対等に競争する気持ちが生まれます。諸外国のリーダーを見ても、自分がドイツ人、アメリカ人であるという強烈な誇りを持ちながら、国際社会で競争しているわけです。やはり大前提となるのは、日本人としての“自覚”であり、それを具体的に意識させる「国学」という教科が必須なのです。 先生たちに、まず懸命に日本について勉強してもらわないと。

ーー「国家」という枠組みにこだわることが、国粋主義、軍国主義を想像する層もいるのでは?

一時期はそういう風潮が強かったけど、最近はむしろ若い世代の多くは妙な偏見にとらわれず、日本人が良いことをした場合は素直に皆んな喜ぶし、日本は良い国だったと教えられると、誇らしいと素直に感じる方が主流になってきていると思います。
もちろん、小学生に国粋主義なんて学ばせるつもりはなくて、これだけ長い歴史のなかに立派な人がたくさん居り、先人の知恵としての「古典」が残されているのだから、それを出来るだけ与えてあげたい。そう思うのが自然なことでしょう。逆にそこに疑問を感じる人は時代遅れでしょう。

〈新教科その2〉世界を通して本当の日本を知る「総合日本史」

ーー続いて、「総合日本史」についてお聞きしたいのですが、これはいわゆる普通の日本史とどう違うのでしょうか?

「日本史」は文字通り日本の史実を学ぶ教科ですが、歴史というのは決して日本史だけで成り立っている訳ではありません。日本史があれば必ずその横に、韓国・中国・ヨーロッパなどの他国の歴史があります。そこで日本の史実を学ぶのと同時に、世界の史実も統括して学んでいく新しい教科が必要となる。世界の出来事は必ず日本史に影響を及ぼしているのだから、タテ軸とヨコ軸を見ていかないと真実の歴史は見えてきません。このように、あくまで軸は日本に置きながらも、世界とどのように関わってきたのかを概観していくのが「総合日本史」という新教科です。

世界的な歴史観をもって客観的に日本を見るような視点が大事やね。たとえば、隋の国が栄えていた頃に日本はどうなっていたか。遣隋使は遠路はるばる海を渡って学びに行ったが当時は隋朝が世界で一番の大国であり、世界制覇を目指していた彼らからすると、極東の島国は当然ながら自分たちの属国という認識だった。
そんなときに、聖徳太子はあくまでも対等外交を貫きました。しかも、聖徳太子は隋が隣国の高句麗と紛争中のタイミングを見計らって堂々たる国書を送った。煬帝は怒ったが攻めては来なかった。隋で内紛が起こっていないときにそれをやったら、日本は滅ぼされていたかもしれない。
このエピソードは、聖徳太子がどれほど優れたリーダーだったかという事実を伝えているが、こんなことは普通の日本史の授業では教えないので子供たちは皆んな知らない。日本国内の出来事だけで考えるのはダメで、他国との比較の上で総合的に歴史観を養わなくてはならない。

確かに、日本の歴史だけ見ると、聖徳太子の優秀さは本来の半分ぐらいしか伝わりませんね。両国の関係を総合的に見ないと本質は見えてこない。世界で一番大きくて強かった隋の国と対等になろうと主張した当時のアジアで唯一の人なのだから、やっぱり凄かった。そのことを知れば、子供ながらに「そうだったのか!」と納得することでしょう。

明治の産業革命遺産もそうだね。ぼくはあそこの理事をしているが世界遺産への登録に抵抗する勢力があり、計画を通すためには必死になって頑張る必要があった。韓国との関係も含めて、いまだにいろいろな課題を抱えていて、決着していない。
ぼくたちが明治の遺産をこれだけ懸命に顕彰したいと思う理由は、日本の若い世代に、先人たちがどれだけ優れていたかを伝えたいから。産業革命遺産は当時の日本人のすごさを伝えている。外国の技術を学んで、それを日本に持ち帰ってきて、設計図も何もないのに研究と改良を重ね、遂にはバルチック艦隊を打ち破るような船を作り上げた当時の日本人の技術。そういう事実を多くの人に学んでほしいね。

〈新教科その3〉グローバル社会の諸相を学ぶ「現代世界」

ーーその「総合日本史」がグローバルに発展したものが「現代世界」なのでしょうか?

「総合日本史」を押さえた上で、現代における世界の諸相を学ぶのが「現代世界」という教科です。現在の国際情勢について正しく伝えるためには、新たな教科書を作って教えなくてはならない。とくに日本人は、ヨーロッパや中東の宗教については何も分かっていないですよね。だからこそ、「総合日本史」でベースを作った上で、何を教えるかを考えていく必要があるんです。

「倫理社会」という科目があるでしょ、ギリシャ哲学からはじまっているけど、教科書に全く日本が出てこないんです。実際は、諸外国も日本から影響を受けてきた。キリスト教と神道の大きな違いについて何も触れないで、果たしてどんな倫理が教えられるのか。倫理というのは「人の道」であるにも関わらず、西欧思想を学ぶことだけが教科書になってる。これは由々しきことだよ。

現代社会におけるいろいろな問題の原因はもっと昔にあったりする。たとえば、難民や原発の問題を知るためには、現在の社会だけでなく、何でそれが起こったかという歴史を遡っていかなくては分かりません。今後、日本でも移民問題が深刻化していくと思うが、それは実はグローバルな課題であり、扱うのは現代の問題だけど、理解するためには過去の歴史を学ばなくては本質はわからないのです。

「総合日本史」は日本をベースに厚みをつけるものなので、日本と関係のない諸外国の事情については入ってきません。しかしながら、実際は日本があまり関係していない中東やヨーロッパの歴史についても分かってないと世界のことは理解できない。この辺り、私たち大人もちゃんと勉強できていないのが、正直なところです。多くの人が看過しているからこそ、現代世界への学びを深めれば、グローバル社会への対応で差がつくのではないでしょうか。

この2つの新教科については、教える人をちゃんとした人にしないと…… そこが難しいね。

子供も鍛えるし、親も鍛えるし、先生も鍛える?

ーー指導陣はどういう方を選定されるんですか?開校が3年先だとすると、どれぐらいの時期から先生を決めるのでしょうか?

今からですね。


公立の小学校、中学校の先生の中には、強い情熱を持って新しいことをやりたいのに、制度ががんじがらめで、何かをやろうとすると足を引っ張られる現状に悩んでいる人がけっこう居ます。この事業の記事を新聞で見かけ、「開校時にはぜひ声をかけてください」と期待する現職の先生が何人も出てきている。ただ、そういう人たちの中から厳選して、最適な先生を選ばなくてはならない。意気込みだけではなく、学識、授業力、探究心、人間的魅力も必要ですからね。

校長、教頭、教務主任、最初の学年主任をまず雇う必要があります。1年の担当教員3名ほども含めて、全体で9名ぐらいは揃えたい。その初期の先生方をスカウトでどこかから引き抜いてこないといけない。いずれはは新任の大学卒も入れるが、最初の15人ぐらいまでは、とくにスペシャルな先生を全国から募らないと。「この先生!」という人にピンポイントで声がけする必要があります。

ーー志明館のコンセプトからして、良い先生とはどんなイメージなんですか? 一般的なよい先生のイメージと同じ?

一般的なよい教師像とそんなには変わらないと思うね。まずは豊かな人間性を持ち、教育的な情熱がなくてはならないし、それの裏付けとしての専門的な学力、それをやり続ける探究心、向学心もまた不可欠。

普通に情熱があり技術もあるよい先生で、かつ思想的にこの活動に賛同できるかどうかをちゃんと確認した上で先生を連れてくることが大事でしょう。

あとは、採用した後で、先生たちを不断に鍛え続けないといけない。


ーー子供も鍛えるし、親も鍛えるし、先生も鍛える?

そのとおり(一同 笑)


一番大切なのはやっぱり先生。先生を鍛えれば、子供も鍛えられるのは当たり前なわけで。

先生を鍛えるための先生も頼まんとね。


先生を鍛える先生というのは、外部の有識者の方々にもお手伝い頂くが、基本的には校長、教頭、教務主任、この3人が日々OJTを実行していく。ここが一番肝となります。学校の立ち上げに関わる初期の3人ぐらいの担任も重要。本当のキーマンは最初の6人になると思いますね。人間力の指導は橋田さんや山口さんをはじめ、いろいろな方にお願いしたいが、OJT(※1)は現場の人がやらなければならない。だからこそ、こちらが教えるまでもなく、すでにノウハウを持ってる人を集めてくる必要があります。
※1:OJT(On-the-Job Training、オン・ザ・ジョブ・トレーニング)とは、職場で実務を通して行う従業員教育のこと。

ーーこのプロジェクトがホームページも出来て、広まっていくと、名乗りをあげる人が出てくるでしょうね。

博多学園や近隣の中学の先生のなかには、「いつできるんですか!? うちの息子、入れますかね? 間に合いますか?」と尋ねてくる先生も多いです。

子供のレベルに合わせず、いつでも“最上”を伝える

ーー一方で、学校の代表としての校長先生の役割はどのようにお考えですか?

江戸時代の私塾や藩校で塾長が大切な役割を担ったように、現代でもやはり校長先生の役割はとくに重要です。地域の人や保護者たちが校長先生を尊敬していた時代があるじゃないですか。やっぱり志明館のトップはそれぐらいになって欲しいですよね。保護者の方々も校長先生の話を聞きたくて集まるぐらいの。校長先生の言うことは小学生には分からないかもしれないけど、何となく感動して帰るみたいな。それぐらいの威厳がほしいですよね。
小学生だからと言って、小学生に分かるように話のレベルを落とさないことが大事。「ガーッ」としゃべって、それを分からんけれども何となく凄いなと思って、小学校5年生ぐらいになったら、「そういうことだったのか……」と少しずつ理解する。いまの校長先生の多くは、小学生に合わせて子供の言葉で話すが、それでは威厳に欠けます。分かる言葉で伝えることは大切ですが、ちゃんとした日本語、正しい言葉で校長先生が喋らないとダメです。「うちの校長はすごいんだ!」と小学生が自慢するようになれば成功ですね。

嘉納治五郎(※2)の周りの四天王ぐらいの威厳があればいいね(!)

※2:嘉納治五郎(かのうじごろう、1860-1938)柔道家、教育者。講道館柔道の創始者であり、スポーツの振興や日本のオリンピック初参加に尽力したことで知られる。

ーー山口さんは「寺子屋モデル」の活動を長年続けられていますし、八尋さんは博多学園の理事長をされていますが、いままでやってきた教育のなかで、子供達が変わった場面とか、成果につながったことなど、過去の体験談についてお聞かせいただけますか。

私の実感としては、幼稚園の子供達に偉人伝を語ると、純真で素直だからスッと受け入れるんですよ。偉人たちの残した言葉が、彼らのなかに自然に入っていく、それはもう見事なほどに。「幾度か辛酸を経て、志、初めて堅し」という西郷隆盛の漢詩の一節もすぐに諳んじるようになる。親はなんでそんなに難しい言葉を子供に覚えさせるのかと疑問を抱くが、子供たちは喜んで覚えていく。教育とはまさに、この情景に尽きると思いますね。いつの時代も子供たちの心は非常に敏感であり、江戸時代に寺子屋に通っていた子供たちとちっとも変わっていないのです。
遊びだって、子供たちに昔の遊びを教えると夢中で楽しむ。紙風船ひとつ膨らませると、無我夢中でやりますよ。そんなときは、テレビゲームなんて誰も見向きもしない。他に遊びを知らないから、皆んなしかたなくゲームをやってるだけなんです。心が踊るものを与えれば必ず子供たちは反応する。子供たちが反応する様子を見て、親が、「やっぱりこういうことが大事だったのか」と気づく。そういう循環を起こしていくのが、この「志明館」の活動の意義だと思います。

とにかく「九つ」までに“態度”を習得させる

ーー普通の幼稚園と偉人の言葉を教えている幼稚園とで、実際にどのような違いが出てきているんですか?

ちゃんとした教育に日々触れる児童は心が動いているからね。大きな声で本を読んだり、靴を揃えて上ったり、深々とお辞儀をして挨拶したり…… 何の苦労もなく生活態度は身につきます。野放しの子とは明らかに差がありますね。でもその後、「ありのままの自分を認める」というようなぬるま湯状態の小学校に入れれば、それまで出来ていたことも出来なくなってしまう。これは大きな問題です。

幼稚園でやめたらダメなんですよ。九つや十まで続けないと定着しない。幼稚園児は感覚的にやっているだけで、それが正しいと思ったり、善悪の判断をするようになるのはもう少し上の年齢なんです。途中で止めてしまうから出来なくなる。山口さんがよく言うように、「つ」が付く年齢を通して(九つまで)キチッとやらないと定着しない。すぐに忘れてしまう。そこが徹底されていないのが、現状の教育のもったいないところです。
うちの高校(博多学園)では山口さんにご協力いただき、道徳教育を7〜8年前から取り入れています。通常、高校を立て直すには、進学実績を出すか、部活動を強くするぐらいしか方法がありませんでしたが、うちは「道徳」つまり人間教育を徹底してやる方針を大きく打ち出した。すると、それ以前は普通コースで定員380人に対して310人ぐらいしか生徒が集まらなかったが、定員380人に対して、410人ぐらい集まるようになりました。
このごろでは、中学校の先生や保護者からも、人間教育をやってほしいという希望が増えてきました。やはり、大学に進学しても結局、人間が出来ていないとダメだということが、最近のご両親も分かってきているのではないでしょうか。進学できない子供たちは、とくに人間教育をちゃんとしないと生きていけない。いままでの学校教育では勉強が苦手な子はみんな「落ちこぼれ」と言われてしまったが、人間教育を行えばそうじゃなくなる。
一方、道徳教育を取り入れた成果として、このごろでは進学実績が上がりはじめています。5年ぐらい前の進学実績はなかなか振るいませんでしたが、徐々に効果が出てきました。

「九つ」ぐらいまで徹底して教育したら、その後は、本人の心に火がついているから、自分で考え自身で行動し、進路も自ずから決めていくようになります。しかし、徹底しないために土台が崩れてしまっているのが現状の教育の問題であり、それゆえ小学校の最初の数年間の教育はとくに大事ということになるわけですね。

次回は発起人対談の最終回。
志明館の世界展開と発起人の皆さんが未来に託すメッセージをお伝えします!

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世界平和に寄与する、次世代リーダーを「志明館」から ▶

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